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高野山との関わり。
  

「高野山の歴史」
 同行二人の旅の最後の締めくくりは、お遍路さんが無事に修行を終えたお礼と、長旅を連れ添った弘法大師を奥の院へ返すために高野山奥の院へ詣でることで終わる。
 弘法大使と高野山の関係は弘仁7年(816)、大師が、高野山を仏教研鑽僧に対し開かれた真言密教の修禅道場とするべく、嵯峨天皇に金剛峰寺建立を勅願したことに始まる。その背景には、都の俗世から離れ、真言密教の真髄を体得させる後継者養成に高野山が理想的な場所であったからだそう。大師自らが永遠の救世主として唱った「万燈万華会」の大誓願は後世にも信仰され、大師の入定廟があるこの地は「この世の浄土」として今でも息づいている。四国遍路も大師信仰の流れから、大師の足跡をたどる巡礼遍路として発展し、現世の自分を捨ててもう一度自分の姿を見つめ直す修行の場所として、今もなお多くの人々に信仰され続けている。


「高野山奥の院」
 大師が入定されている御廟は高野山の一番奥にあり、そこまでに三つの橋が架けられ、一の橋、中の橋、御廟橋と名づけられている。川は境を示すものとされ、あの世とこの世の境目として渡る前に一礼する習わしのもと、一歩足を踏み入れればそこは死後の世界となる。御廟橋は最も神聖な橋で、浄土の世界へと導かれると共に俗世の罪・汚れが洗われると信じられていた。ここから先は写真撮影や飲食は禁止。神聖な気持ちでお参りしたい。御廟ではまず正面で一度お参りをして、次に右回りに廻ってお堂の裏へ向かう。ちょうどここに大師が眠っている御廟があり、ここでもう一度お参りをする。その後御廟の地下へと通じる階段を下りると、そこが大師と同じ高さになる。そこでお参りをして御廟を後にする。一の橋に戻ればその背を見送る大師に一礼をし、結願の喜びを噛み締めたい。






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